hasihiro25のつぶやき

長野県の、しがない派遣社員。ゲーム、ニュースの感想などつぶやき

【転載】学校へのゲーム持ち込み禁止の是非…規則と教育とは?

人間は1日後には覚えた知識の7割以上を忘れる。
http://news.nifty.com/cs/item/detail/sinkan-20110216-1760/1.htm
 
 
この記事の中で、
本題も気になったが

彼らにとってみれば、“どうして自分は勉強しているのか”“何の目的を持って勉強するのか”ということが分からない限り、それは360度水平線の大海で一人泳いでいるようなもの。親が子どもの羅針盤となるには、どうすればいいのでしょうか
 
という部分も気になった。
“何のために、それをするのか”
(あと、“子ども先生”というアプローチの仕方。
子ども自身が親に対して、学んだ事を教えることで当人にも身に着く)
 
ちょっとそれとも関わるマイミク:のりさんとの議論がありました。
定時制の工業高校教師をしている友人です)
 
 
 
以下、転載。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1673816360&owner_id=3215180 
 
 
 
 
題名:どうするべきか
 
 

たまには、職場での悩みを一つ。
※矛盾した意見を書き綴っています。

私の職場にいる子供達は定時制ということもあり、一言で言えば「なんらかの理由で集団生活からはじき出されてしまった子供」達である。その子供達が自身の壁を乗り越えて入学し、生活をしようとしている。
そんな訳で、集団生活はおっかなびっくりが半分。楽しみが半分。
だから、放課後に友達と遊ぶということが新鮮に感じているようだ。

幸い学校というところには、友達が集まっているし、ストーブだってある。
最近の流行は、カードゲーム(遊戯王)やPSP(モンスターハンター3rd)を友達と対戦したり協力したりすること。
放課後になれば数人の生徒が固まって遊び始める。
さて、ここで問題。

「生徒を帰宅させるべきか、友達と遊ぶという体験をさせるべきか。」

放課後の時間は夜の9時を過ぎている。
まず、そんな時間に高校生が街をウロウロしていれば警察に職務質問されかねない。
建前的にはこれ以上遅くならないように帰宅するように指導をするべきだと思う。
うん、思うんだ…

でも、中学で不登校だった子供達が、高校で同じような境遇の子と出会い、友達となる。ちょっと他の人よりも遅れたけど友達と遊ぶ楽しみを噛締めているってのに…
そう思うと「帰りなさい」とはいえなくなる。

ん〜実は、問題は自分の中にあるのかもしれない。
教育的な視点で学校としてどこまでやるべきなのか、
自分の責任においてどうするか。
どこからが家庭なのか。
そういう線引きが出来ていないからこういう悩みを持つ。

特に、生徒のバックボーンを知ってしまっているおかげで、なおさら言えない。

しかし、高校という場所だと考えれば、居残りで遊ぶなんてナンセンス!!

ってか遊ぶのなんて本人達で場所を探したり、怒られたりしながら見つけていくものであって、最初から用意されているものじゃない。
田んぼで遊んでたらおっさんに追いかけられたとか。
堤防で遊んでたらおばさんに危ないよと注意されたとか。
でも、それを取り上げられたら自分で居場所を探せない子はどうすればいいの?

義務教育は受けなくても自動で卒業できるわけで…
親は教育を受けさせる義務を持っているんだから、親が主にやってもらわないと
とか考えるけど、働かないと生きていけないし。
すると教育は親じゃ出来ない。
誰がする?
高校?
いつから高校は義務教育を都合により受けられなかった子供を教育する場所になったんだ?
でも、現にそういう場所がないから受け入れざるを得ないのか?
その場合、高校としての機能が弱くなって、本来受けられるべき恩恵が減ることもありえるわけで、いいのそれで?

勤めて5年目にして、何すればいいのかわからなくなったorz
自分の確固たる線引きが揺らいできた。 
 
 
 
hassy2011年02月14日 21:28
私は休み時間や放課後に将棋やってたなぁ

ゲームは学校に持ち込んじゃいけないと思うけどな
放課後の子供の居場所と言うのは前々からの課題だよね

他の場所で遊びなさいって言えれば良いね。
一番大事なのは、教師によって言うことが変わらないよう、教師同士で統一見解を共有することじゃ無いかな?
門外漢が失礼しました
 
 
 
 
のり2011年02月15日 15:13
> hassyさん

貴重な意見ありがとうございます。

ちょっとわき道にそれてルール(決まり)の話を。

ゲームに関して言えば、「持ち込んではいけない」などという決まりは長野県にはないです。

個人的にはそんな決まりはくだらないと思っているし、
別に休み時間にゲームしたっていいじゃん!!とも思う。
ただ、きっちりとけじめがつけられずにチャイムが鳴っても「あとちょっとだから」とか
本末転倒な状態になっているので、変なルールが学校やクラスごと決まるんですよorz

ルールを決めて規制することは、それを利用して教員や大人が指導しやすくするためなんだろうけど、実は教育の放棄であり、自分の首を絞めている。
むしろそんな当たり前のルールなんぞ決めなくても、あたりまえが分かるようにさせるほうが、最初は大変だけれども、後々楽になる。
と私は思う。

そういった指導というのを学校単位や県で「ゲームは禁止」ってルール決めるのアホっぽくないですか?
「私達の学校はそれを教育的な指導で解決する自身がありません」と公表しているようなもんですから。
どこぞの府の小学校は「携帯持ち込み禁止」とか府で決めてて、教育を放棄しているとオレは思うんだけどね。携帯犯罪も多いし、携帯に夢中になることで学習につながらない場合もあるけど、「学校内では一律禁止」にするのは意味ないでしょう。外や家では知らんってか!?
あと、逆に禁止にされたことで、けじめをしっかりつけられていた子供は被害者ですけど…いいのかなぁそれで。。。

そんなこんなで、事件や事故などの判断は別として、たわいもない(と一見思われる)話題は、教員のさじ加減で指導は変わってしまうんですよ…
かといって、全体でルールを決めたりするのは前述したようにアホらしいと思うし…
でも、さじ加減のラインがあやふやねーぃ。
 
 
 
 
 
hassy2011年02月15日 18:05
現場に居るのりさんの言葉の方が、私より重みはあるけど敢えて感想を…。
今回の話は、前にも私がボイスに書いた「<いい子>とは、<大人にとって都合のいい子>」という話とも重なってくるね。

それでも、私はルールはルールとして有って然るべきものかな、と考えている。世間にある「トンデモ校則」というのは議論の余地はある……。
今回はある程度大人の生徒だと思うから、ゲーム持ち込みが絶対ダメとまでは徹底しなくても良いかも知れないね。

でも例えば小学校ならば、ゲーム機は持ち込み禁止と明確にしておいた方が良いんじゃないかな?
「あたりまえが分かるようにさせる」という一つの手段として規則は重要だと思う。
「あたりまえ」というのも、常に定義が変わる曖昧なものだよね。
「教育的指導」という言葉を使っていたけど、その指導の根拠の<一つ>として「規則」があるのはダメなのかな?
「ルールはルールとして守る」という事が出来ないまま大人になってしまう事は、結構不幸な事だと思います。

田嶋陽子先生の言葉を借りれば、子どものうちは制約がある。
だからこそ大人になったら「我が思うがまま」⇒「我がまま」に生きたらいいじゃないか、と。
(制約がある子どもだからこそ、知恵を絞って自分たちで遊びを考えて
「牛乳瓶のフタでめんこ」とか生み出されたりした気もするな。)

そういえば私たちの時代にも、
授業中ひたすら携帯を弄っている高校の同級生も多かったな。
少なくとも授業中は携帯禁止だろうに。
横槍いれてゴメンねぇ〜〜
 
 
 
 
 
 
のり2011年02月15日 23:22
こういう横道話大好きw

例えば、「赤信号は渡ってはいけない」こういうルールがあるとします。
子供にこのルールを教えるときにどうやって教えますか?
「ルールだから、守らないとだめだよ」とでも言うのですか?
「決まっているからダメ」なんですか?

赤信号を渡ってはいけない理由は、考えればわかります。
車に引かれてしまい危ないからです。
ちゃんと理由を話せば小学生も理解できます。

さらに、車が赤のときに止まらなかったら歩行者(自分)も危ない。
だから皆が協調性をもって、おんなじルールを守ってやっていきましょう。
と私なら教えます。

ここで大切なことは、教える側が「ルールだから」と逃げずに
しっかりと理由を話して、相手が納得する内容(ルール)なのかどうか、ということです。
※もちろん反抗期とよばれている大人に不信感を持ち始める年齢の「道理はわかっているが従いたくない」というのは別の問題です。

では、学校にゲーム機や携帯を持ってきてはいけない理由はなんですか?
誰しもが納得できる説明はできますか?
私はこの合理的な説明はできません。
一応休み時間は「休み時間」ではなく、「次の授業への準備時間」という理由であったり、
学校は勉強する場所だからという理由らしいですが…
だからといって「持ってくる」ことが禁止の説明にはなってないですよね?
じゃあマンガ本や他のはなんで禁止じゃないいですかねぇ??

説明が難しいことを簡単に規制するためのルール。
赤信号のときとはルールの質が明らかに違います。
指導の根拠に「規制」があってはなりません。そもそもその規制には「理由」があるべきですから、指導の根拠にあるべきなのは「理由」です。
しかし、その「理由」がないルール。これこそが「大人にとって都合のいい子」ではないですか?だからこういうルールを決めてしまうことを「アホらしい」といったのです。


加えて、理由のあるルールでも、その時点の相手によっては説明が理解できない場合や、受け入れ認める準備ができていない場合もあります。それが年齢だったり、精神状態だったりさまざま…
「赤信号?だって向こうに友達居るよ?」みたいな…
その場合は仕方なく「ルールだから」で通す場合もあると思います。でも、上手に伝わらなくても自分の中に明確な理由はなくてはならないでしょう。
hassyさんの言う指導の根拠としての「規則」とはそういう意味なのだと勝手に解釈しますw


怖いのは、制約やルールに疑問を持ったり、理由を知ろうとしないこと。
「決まっているから」で納得してしまうこと。

極端な例で言うと、「人を殺してはいけない」というルールはどこにあるんでしょうか?
法律に規定されているのですか?
いいえ。
殺人をした場合は刑罰を与えることは定められていますが、どこにもやってはいけないと書かれてはいません。
では、刑罰を受ければ殺人してもいいんですか?

いや、もちろんいいわけないですよ。
でも、ルールだから守るということは、逆説的にルールになければ良いということですよね。
ゲーム機は規制しても、携帯は良い。なら最近新しく発売したPSPフォンはいいんですね。
モバイルPCは持ってきてもいいんですね。ポータブルDVDプレイヤーもオッケーだわw
なんてなります。
じゃあその都度ルール増やしますか?アホくさw
これが規制が自分の首を絞めると表現した部分のことです。

実際に教室内で小便したバカがいて、そいつが堂々と「どこにそんなルールがあるんだ!?」と抜かしやがったからね。