hasihiro25のつぶやき

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2000年代を振り返って 〜 犯罪の質はどう変わったか?

世間はクリスマスのようですが、
今日は社会問題について2つほど日記を書きたいと思います。
 
 
 
今朝のスーパーモーニングでも放送されていましたが
あと数日で2000年代('00年代)が終わりを迎えて
2010年代に突入するわけです。
 
 
2000年の小渕総理を皮切りに
10年間で総理が7人も変わったという。
 
小泉総理にインタビューしていた三田園さんの弁によれば
「何をやっても批判されるし、総理と言うのは想像と全然違った。
とにかく孤独だ」という。
 
鳩山総理も、今はとにかく苦境に立たされているが
内政的にも外交的にも首長がコロコロ変わるのは良くない。
 
一体、今の日本はどこへ向かおうとしているのか………。
 
 
 
 
 
さて、2000年代になって<IT革命>と言われたが、
ネット犯罪などが増えたのも、この10年の特徴だという。
 
また、<誰でも良かった>という無差別犯罪も顕著になったという。
 
 
俳優の武田鉄也さんが言っていたが、
 
「<誰でも良かった>は、単に無差別と言うのではなく、
<知っている誰かでは困る>というニュアンスを含んでいるのではないか?
 
<誰でも良かったから殺したかった>は、
知っている人間でもいいから殺したいのではなく、
自分の知らない人間だけを<誰でもいいから>殺したいと言う事ではないか。
そこに、人間関係の希薄さがある」
 
という見方もある。
 
 
 
 
 
さて、犯罪は増えたのか?
実は、現在大学院で社会学・犯罪心理を専攻している友人と
高校の頃から(今から10年前から)頻繁に議論していた事だ。
 
 
よくメディアでは犯罪は増えた・凶悪化したというが
実は昔から凶悪犯罪はあるし統計上は犯罪は増えていない。
というのが友人の弁だったと思う。
 
 
ただ、統計上の事実がどこまで意味を成すのか?
「<犯罪は増えた・凶悪化した>というのは事実ではないかもしれない。
でも、
<犯罪は増えた・凶悪化した、と人々は思っている>という事実が重要ではないのだろうか?」
と私は言いたい。
(まぁ、構築主義とか自己成就的予言とか難しい話は分からないが……)
 
 
 
 
鳥越俊太郎さんも言っていたが、
「説明のつかない犯罪が増えた」という話もあった。
 
「死刑になりたいから人を殺すなんて、
いったいどうしてこうなったのか説明できない」
 
メールの返信が無いと怖がる現代人。
小林よしのりの「<個>と<公>論」ではないが、個人尊重主義の行き着いた先が
現代社会なのではないだろうか?
いったい我々は、どこへ行こうとしているのか?
 
 
 
 
さて、「死刑になりたいから犯罪をした」という弁をしている人間がいるが
死刑になること・命に対する重みを全く分かっていない人間だとしか言えない。
 
死刑は抑止力になりうるのか?
 
 
ここ最近、友人との議論内容にもなっていたが
友人によれば
「死刑制度も最初こそ犯罪発生は減るが、結局は犯罪数は当初よりも増えてしまう。
死刑は抑止力にはなりえない」
と断言している。
 
暴力団など資金目当ての団体は、よく法律を勉強していて
法改正というのは抑止力として有効だという。
しかし、個人については
量刑問わず犯罪に手を染める人間と言うのは往々にしているものだ。
 
 
そのうえで友人は、
「人を殺したら、死刑という罰を処する。
それは、抑止力としてではなく、然るべき処罰として捉えるべきではないか」
という主張だったろうか?
(人の弁をかじりながら文にするだけでは、おそらく本人の意図からズレているだろう)
 
 
 
信じていた規範が崩壊した社会……アノミー状態。
 
大人が大人としての責任を果たさなくなった未成熟な社会。
何が日本をこうしてしまったのか?

(化学物質が多い世界が、脳の成長を阻害させた?
運動しない子育ては、きちんと脳も育たないから未成熟社会になった?
便利なものがあふれ、苦労をしなくても生活できるようになったから横着になった?
 
……原因は一つではない。すべて意見としては正しいのだろうと思う。)
 
 
 
 
 
 
これだけ産業革命が進んだ現代においても、
日本と違う諸外国は同じように個人主義なのだろうか?
 
こうした論を話し合ううちに、
「日本は宗教観がないからダメになった。
日本にも、きちんと宗教を教育の根底に置くべき」
という論が出てくるが、
 
これについては私も友人も、「そういう問題じゃないだろう!」と一蹴している。
 
 
これだけ色々文章を書いていても、
自分もいつ被害者になってしまうかも分からない。
いや、逆に
自分がいつ加害者になってしまうか分からない。
 
 
 
 
自分はまだ子どもを育てるという経験をしていない。
だが、きちんと子どもができたら教育に携わりたいと思っている。
心の教育は、体の鍛練も同時に行わないと脳はついてこない。
 
モラル・法律・教育・政治・社会基盤
2010年代も手をつけなくてはいけない問題は山積みだ。
 
やくみつるさんが
この10年の政治・社会の流れのボードを見た時に「虚しい」と言っていたが
まさしく、一体政治は何を為し得たのだろう? と私も思ってしまう。
 
「失われた10年」「失われた20年」という言葉は、もう聞きたくない。
 
次の10年、我々はアノミー状態となった社会に希望の光を導き出せるのだろうか?