hasihiro25のつぶやき

長野県の、しがない派遣社員。ゲーム、ニュースの感想などつぶやき

経済学か社会学か

今回は、まじめで大事な話を書きたい。でも、文章がまとまらない………


大学卒業間近の頃、廊下でバッタリ会った某先生と話をすることがあった。
「君は、意見をコロコロ変えやすい人間かもしれないよ?今は社会学の視点で熱く語ってくるけど、2年後会ったら全く別の論を展開しているかもしれないね」…

随分失礼なことを言われたと感じた。
(むしろ、私よりも【優秀ではあるが、主張や行動フロアがコロコロ変わる友人】が他にいるじゃないか……などとヒドイ意見も心に持ちながら聞いていた)



意見はいつか変わるかもしれない。でも、【視野が広がること】と【視点が移り変わること】を勘違いして、労働の弊害を置き去りにしたまま経済学を語る人間にはなりたくないと思った。社会学の観点に触れた4年間の大学生活だったので、この視点を忘れたくないと思っている。
(ラベリング理論の提唱者が誰なのかすら思い出せない私は、『社会学を修めた』などとは到底言えない)

だから、定期的にこんな駄文のブログを書くんだ。
当時の自分は何を考えていたか、を自分で思い出すために…。
文章化するという作業によって、その場で自分の考えを整理するために…。
自分の考え方をブレさせないために…。



なぜ、こんなキレイゴトみたいな話を今回持ち出したのか?(今回の文末でも同様の文章があるけど……)
それは、ここ数日の日経新聞を読んでいて、気になる記事が幾つかあったからだ!


日経新聞に書かれているのは、経済学の視点だ。
私が今まで触れてきた社会学的視点とは、明らかに対照的だ。




今まで私が触れてきた視点:
「経済ばかりの視点によって、環境破壊がもたらされてきた」
「そもそも、経済発展って、これ以上必要なことなのだろうか?」
「仕事一辺倒だった夫がいたために、女性や家族がないがしろにされた」
「地域社会、スローライフ
「お金は、堅実に貯蓄して生活しよう。エコロジーな生活をしよう」
「開発や発展や設備投資にばかり辺倒しない、定常的な経済学は構築できないだろうか?」

などの視点






他方、数日前から購読を始めた日経新聞(あるいは、日経MJ日経産業新聞)には…:
「堅苦しい《エコロジー》とは違う、LOHASが広がっている」
(所詮、環境やエコもブームで終わってしまうのか?)
「時間とコストを徹底的に意識せよ」
「日本経済が潤わないのは、幾つか理由がある。1つは、企業が空前のカネ余り状態になってしまったことだ。赤字を恐れ過剰に貯蓄したために、設備投資が行われなくなったのはマズイ」
「寝袋で会社に泊まることすらあるが、企画を通すのが楽しい。」
「(文献の紹介窓から抜粋)成功する人だけが知っている(中略)人生のステージごとに異性パートナーを替えよ!」

などの視点




経済の視点がないまま経済批判なんて出来ないだろうから、こうした視点も意識するようになった…
いつでもモチベーションが高いわけじゃないから、地域や故郷で活動する仲間や、実家で暮らしている友人に対して

「そう言えば、そんな人もいたなぁ。そう言えばそんな組織もあったなぁ。でも、独り暮らしをして働いて給料を稼いでる、自分の方が偉いんじゃない?」
という、上から見下すような曲がった優越感に浸ることも多々ある。


また、《机上の空論ばかり語って金を貰うような仕事はしたくない。机上の空論論者に終わりたくない……、という考えも持ったりする。
だから、就職したんだし……


自分は一体何をやりたいんだろうか………