hasihiro25のつぶやき

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エコという名の全体主義になっていないか?ご飯を食べきらない子どもの話から

 
7月30日(金)の朝AM
「坂ちゃんの ずく出せエブリデイ」から。
 
「ずく」というのは、根気・やる気を総合した長野県の方言です)
 
  
 
夏になると色々な体験学習があるが、
日帰りや宿泊で<寺で禅行>をするという体験もあるそうです。
 
住職さんが、子どもたちに対して
「ご飯粒を残さないように食べないさい」
「たくわんで、ご飯粒をキレイにすくい取って食べなさい」
と教えるそうなのですが…
 
 
 
 
最近の子供たちは、
食べ終わった(まだご飯粒の残った)お椀を見て、
【汚い】
と言うんだそうです。
 
【汚い】から、ご飯粒を最後まですくい取って食べたりすることが
できないそうなんです。
 
 
ついさっきまで自分が食べていたはずのお椀がなぜ【汚い】のか?
「だって、洗いものじゃん…」 
 
子どもたちにとっては、ある程度ご飯を食べたら、
その瞬間から
それは<お椀>じゃなくて<洗い物>になってしまうというのです。
 
 
 
 
 
 
坂橋アナウンサーと菊池アナウンサーの対談の中で指摘がありましたが、

ご飯をきちんと食べきると言う事を今の子供たちは教わっていないから、
親がご飯をきちんと食べきっている姿をしっかり見せていないから、
こういう話が出てくるんだと。
 
 
 
坂ちゃんの言う、
「ご飯を残さず食べきることを教える事は、エコとか言う前に
食べ物を粗末にしないという当たり前の事ではないのか?」
 
「今の世の中、何でも<エコ>と言えば許される風潮になっているが、
エコを叫ぶ前にもっと伝えなければいけないことがあるのではないか?」

という言葉に思わず唸ってしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ところで、
中学の修学旅行で比叡山延暦寺の住職の話を1時間聞いた時の事。
 
「ある学校で、先生が
【<いただきます>なんて言葉は、
宗教だから皆でやることが無いんだ。自由に食べろ】
と言ったそうですが、こんな愚かしいことは無い!」
 
と嘆いていた話をしていました。
日本は軍事と宗教に関しては極端に嫌がる風潮にあるので、
この<先生>が目指そうとしたものも分からなくは無いのですが……
 
 
その他にも、
「自殺する子どもが増えている。
みんなは、絶対に命を粗末にするなよ!!!!」
と言葉強く訴えていましたが、
 
 
その説法が終わった後、ちょっと不良になりかけていたクラスの女子が
「よくあんな心にも無い事言えるよね」と
シラけムードで友人たちと不機嫌そうに話していました。
 
その女子にとっては、「命を粗末にするな」という住職の本気の訴えも、
所詮は「心にも無い事」
その女子の世界には、まったくもって存在しない概念なのでしょう。
 
 
食べ物についても、命についても、
心の感受性がなくなっている。感性が極端に狭まっている。
だから、<エコ>という合理性の観点でしか
物事を見られない世間になってしまったのではないか??

 
 
 
 
 
どんなに、良いなぁと思う意見や主張でも、
必ず反論と言うものは存在します。
<環境科学>の講義で習った【宇宙船地球号】について。
 
宇宙船地球号】という言葉は、
ボールディングが経済学にも導入した考えですが、
地球の資源は無限なのではなく、
宇宙にうかぶ小さな有限な船にすぎないのだ、と。
だから資源を持続可能な使い方をしなければいけないのだ、と。
 
 
これに対しての反論は、
「<エコ><環境>を理由に何でもかんでも正当化されて
個人の行動が制限されるのでは、まるで<全体主義>だ!
<エコ>を隠れ蓑にした、<環境全体主義>ではないか!」
 
まぁ、そんな反論や議論が出ているうちに
人類は環境破壊によって破滅してしまうと思うんですけどね。

 
 
 
 
ただ、今回「ご飯を食べきらない子ども」の話を聞いて、
(私自身けっしてエコロジーで誇りある生活ができている人間ではないですが)
 
簡単に「エコだから」「合理的だから」
という言葉で済ませてはいけないんだと考えさせられました。
 
 
「科学で<気化熱>なんて言わなくたって、
祖先は打ち水をして涼感を得ていたでしょう。」

「ビルの緑化で<グリーンカーテン>なんて言わなくても、
自然と木々や森があって、涼しい風が生まれていたでしょう。」
<エコ>なんて言葉が無くても、その豊かな感性で自然を大切にしていたじゃないか、
現代では感性も感受性も乏しくなっているのではないか?
 
 
 
坂ちゃんの言葉とかぶってしまいますが、
「なんでご飯を残しちゃいけないのか」
「なんで木々や森を大切にしなくちゃいけないのか」
 
 
もちろん、<エコ>はガマンだけでは継続できない。
楽しみながら継続する…という人も多いし、それを否定するつもりはありません。
 
ただ、
単に<エコ>だからと言うんじゃなく、
人間は食物として命を消費して生きているという事実
自然環境のうえに我々が成り立っているという事実
これをきちんと知って、
なんのために<エコ>でなければいけないかをきちんと考えなくてはいけない。
 
それがきちんと分かっていれば、
見せかけやまやかし、ブームだけの<エコ>に
簡単に流されることはなくなると思うのです。