hasihiro25のつぶやき

長野県の、しがない派遣社員。ゲーム、ニュースの感想などつぶやき

責任の所在と共有を考える 〜列車事故から〜



まずはじめに、4つ謝ります。


1.無責任に自分の意見ばかり書くブロガーで御免なさい。
 私も、きちんと社会問題について勉強します。
2.支離滅裂な文章で御免なさい。
 色々考えていたら、自分でもしっかり意見がまとまらなかった。
3.長い文章で御免なさい。
 私は毎回文章が長くなってしまうんです。
 自分でサイトを見返してみても、確かに読みづらいページですね。
4.私の別のホームページアドレスURLが記載されていません。
 また、コメント投稿やトラックバック機能がないため、
 いつかはページを改良していきたいと考えています。





新社会人として東京に暮らし始めて1ヶ月。
まだテレビやインターネットが自宅にないため、
ネットカフェに行かない限り情報収集ができないのです。


地元の後輩にメールをもらうまで、
列車事故があったことを全く知りませんでした。


被害者の方が一刻も早く救出されることを望みます。
また、亡くなった方と遺族の方に、哀悼の意を表します。





さて、以下は
オーバーランの距離を短く報告するよう、口裏合わせをしていた>
などのニュースを見る前に、
私suisoが考えたことです。









後輩のメールに驚いた。
「電車が脱線して、マンションに車両が突っ込み
 多数の死傷者が出ている。
 テレビも、その特別報道を頻繁に行っている。

(不謹慎ながら)JR西日本の株も大暴落しているとの報道もある」
というものだった。

<新米運転手>という言葉になったので、
「新米の責任は、上司の責任だよ」と返信しておいた。


今回のニュースを聞いて
私が恐れたのは、
スケープゴート(生贄)だけが取り沙汰されて
問題の本質が解決されずに事件が終わってしまうのではないか、
ということだ。





卑近な例で申し訳ないが、
今月から携帯電話の販売員になったばかりの私の例を挙げたい。


昨日も、私は仕事でミスをした。
機種変更に「事務手数料」がかかるという事を、
伝え忘れて販売してしまったのだ。
その為クレームになり、事務手数料分を返金することになった。

新人の私が仕事をしていると、
こうしたミスも多々起きてくる。
<新人のうちは、気負いしすぎるのは良くない>と言われるものの、
<自分は新人だからミスをしても仕方がない>という考え方は持ちたくない。



優しさと厳しさを兼ね備えて、指導してくれる先輩社員もいる。
他方、「なんで、こんな仕事ができないんだ」と言わんばかりの態度の
先輩社員もいる。
(その人自身は業績が高いので、なおさら文句も言いにくい。)
人事担当者の言葉を借りれば、
「そうした先輩社員は、自分が新人だった頃の気持ちを忘れている」のだろう。




<新人だから>という甘えを持たないようにすることは、
新人として大切な心構えの一つだろう。
しかしこれは、あくまで新人の視点に立った時の話だ。


上司やマネジメント管理者は、
<新人は、何回も説明しても覚えない>
<新人は、どこでミスをするか分からない>
ということを常に意識し、
人員配置や教育を行わなければならないのだ!
(昨日の日記で紹介したような、
 <新人でいきなり店舗トップになってしまう人間>は
 稀だということだ)





私が「新米の責任は上司の責任」と考えたのは、
上記のような経験や考え方を持っているからだ。

さらに後輩が返信してくる。
「なるほど。新米の責任は上司の責任なんですね。
 でも、世間を揺らす事故ならば、会社全体の責任になりかねない
 と思います」


この言葉を聞いて、
責任の所在はどうあるべきか、を考えさせられた。



今回の事故(事件というべきか?)は、
確かに運転手や車掌にあると言えるのだろう。
ただ、私が恐れるのは
「新米運転手や先輩の車掌、あるいは会社の経営者ばかりが
 バッシングされるスケープゴート(生け贄)になって、
 問題の本質が解決されないまま、事態が沈静化してしまうのではないか」
ということである。



クレーム対応の文献を読んでいて、
<クレームに関しては、(皆隠そうとするので)
 クレームに対するノウハウが蓄積されにくい>
という文章があった。


これは、社員教育についても同様のことが言えるのではないか?


何かミスがあると(特に新人の場合)
「上司が悪い」「店長の責任だ」という捉え方をすることもできる。
(ミスを起こした本人が、上司に責任転嫁するのは論外)


では、上司や店長が必ずしも
優秀で、しっかりと人員配置ができる人間だといえるのだろうか?


「上司や店長が、能力をきちんと発揮しなかった」
「上司や店長が職務怠慢だった」
「上司は、すでにマネジメント教育を受けている人間だった」
ということならば、上司の責任がきちんと問われるべきだろう。


しかし、流通業や小売業の場合、
2〜3年で店長に<させられてしまう>のだ。


こうした人達に、責任をしわ寄せするのも酷な話ではないかと思うのだ。


マネジメント教育を受けていない・受けさせていない会社の場合、
経営手腕は各店長のパーソナリティに委ねられてしまう所が大きい。
これでは、運任せの経営になってしまう。
(いかに、人事部が
<店長にふさわしいであろう人物を起用した>としてもだ)


優秀な上司や店長を育てるのは、
会社の責務であろう。



とすると、
優秀な店長や上司をあまり育てられない会社は、
経営者の手腕が悪いということになる。

しかし、
皆が皆、手腕ある経営者というわけではない。
皆が皆、社内環境改善を行う余力がある企業ではない。

(経営者に恵まれなかった会社(または、その会社の社員)の場合、
ずっと恵まれないままの労働を強いられるのだろうか?)



こうして論を練っていくと、
どこにでも責任転嫁できそうな気がしてくる。




しかし、
「経営手腕のない企業は、競争社会で自然と淘汰されていくだろう。
 だから、別に責任や教育について論じることは何もないのでは?」
と、たかをくくってはいけない。


部下の資質の問題だろうと
上司の指導力の無さが問題だろうと
経営者の手腕不足が問題だろうと、
実際に事故が起こってしまったら不幸な思いをする人が確実に生じるのだ。


「悪いものは、いずれ自然に淘汰される」
などと悠長なことを言っていてはいけないのだ。
問題のある企業は、
即刻あらゆる所から改善を図っていかなくてはならない。
(消費者の立場からの改善
 企業内部の立場からの改善
 オンブズマンとしての立場からの改善
 行政の立場からの改善
 など)







不幸な事態を回避するためには、
1.
会社の枠を超えて、
<教育のノウハウ>を蓄積していくという前提が必要だ。

そのうえで、
2.
あらゆるトラブルを想定して、責任の所在を明確にしておくことが
企業内ルールとして問われる。
次に、
3.
労働者が万全に仕事を行える環境を全社的に整えることが肝要だろう。
(医療ミスなどは、本人の責任にされてしまいがちだが、
 超<超過労働>で疲労の極限にある病院関係者による事故は、
 当人の責任だけではなく、労働環境を整えられなかった
 病院全体・ひいては医療業界の責任と言えるのかもしれない。)
さらには
4.
一部の人間の<失敗>や<悪意ある暴発>によって悲劇が起こらないよう、
監視体制やセーフティラインを引くことが求められる。
(例えば電車の場合、速度の超過を防ぐATSという機器をつけることできるはずだ)




列車の脱線という悲劇を受けて、
・どうすれば再発が防げるのか
・なぜ脱線やオーバーランが起こったのか
・再発や事故を防ぐために、
 どのような企業体制や教育プログラムが望ましいのか

ということを、鉄道業界以外の企業も考えていくべきだ。
運転手と車掌と社長の刑事責任を問うことだけで、
今回の事故(事件)を片付けてはいけないのだ。